究極のスパ

「お尻、超ハードな人求ム!」という求人広告を新聞の一面に掲載したい変態です。
こんばんは。

日本語としておかしいが、そこはお察しください・・・ということで、
最近はスパンキングに関して、ごちゃごちゃと理屈を並べて楽しんだりする時間がなく、「行為そのもの」の事、つまり道具とか姿勢、それからどういうシチュエーションが一番萌えるか・・・なんていうような表面的なことばかり考えたりしていた。

「想像力のある人とのプレイは楽しい」のは、自分にとってのスパが妄想と現実のちょうど境目のところに、両足突っ込んで立っているような状態で、どちらが欠けても、味気なくつまらないものになってしまうような気がするからだ。
ノンケの男性と話していたら「女はことに及ぶと、目をつぶって自分の世界のなかに入っていってしまう」というような事を言っていた。それはたぶん「こんな○○している自分」とか「こんなに愛されている自分」いうような自意識に酔うことが、一番大切だからなのだろう・・・と想像する。

男だってそういう人もいるかもしれないけど、大抵は視覚・聴覚・触覚からくるもっと直接的な刺激のほうが大事なわけで、ひどいのになると、脱がせて前戯もそこそこに、挿入してあっという間に果てる・・・という「それってオナニーとなにが違うの?」みたいな事も多いようで、まさに動物的というか野蛮な感じである。

男同士だったら、たまにはそういう貪り食うような獣のようなセックスもいいと思うけど(自分がゲイだからそう思うのかもしれないが)そんなんばっかりだと、ただの排泄行為というか、情緒もへったくれもない、やっぱりオナニーとあんま変わんないなと思ってしまう。

だからといって別に「ロマンチックな演出」みたいなものを求めているわけじゃなくて、人間なんだし、変態なんだし(笑)どうせ生殖行為とはかけはなれているわけだから、別に最後に射精に辿りつかなくても、もっと色々と楽しい事とか気持ちイイ事がたくさんあるのに、もったいないな…と。

最初に「想像力のある人とのプレイは楽しい」と書いたのは、そういう事で、ただひたすら目的地を目指して全力疾走するよりは、最終的に目的地に辿りつけなかったとしても、ぶらぶらと寄り道をしたり、ちょっとした冒険をしてみたりすると、色々と発見するものがあったりして楽しいよな、と。

だから、目的地に到達するための「現実的な部分」ばかりになってしまっている、いまのバランスがとれない状態は「お楽しみも半減」という気分なのだ。

話がスパからだいぶ離れてしまった上に、なにが言いたいのかよくわからなくなってきたけど、想像力、知性とか情緒、色々なものが絡まりあったスパプレイの後の、射精とは全く違う充足感は、きっとディープなスパフェチの人じゃないと味わえないのだろうな、と思うので、そんな時は「変態に生まれてありがとう」という感じである(笑)
ところで、スパンキーにとって、強いオスに服従し身をゆだね、自分の「恥かしい部分」をさらけ出してしまうことの出発点は「父性的なものへの憧れ」にあると思っていて、自分にとっても最終的にはそういう「究極の父親(像)」としての男性とめぐり合いたいという妄想を抱いていたりする。

理想としては、子供を3人くらい育て終わって、肉体的には脂が抜けてきてちょっと枯れてきたけど、老成円熟という言葉がぴったりくるような紳士に、あれこれ口答えして結局はやり込められて、お仕置きされたい(爆笑)

スパンキーであり続ける事が年齢的にリミットがあるのかどうかはわからないけど、早いうちにそういう人と出会って、スパンキーを卒業し、真性スパンカーにシフトしていきたい、と目論んでいたりするのだ。
※画像閲覧できなくなってたので、モザイク薄かったのかも。
とりあえず削除しました。後日再アップしてみます。


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