与えたいという気持ち

このエントリーだけ若干文体が違って違和感を覚えるかもしれないけれども、
いまの自分の状況や気持ちを的確に表現するために、
結果的にそういう風になったのだと思って欲しい。
(※加筆・一部訂正しました)

俺には相棒がいて同居している。
彼は、俺の「スパンキングフェチ」という性癖に関して
彼にとって理解できない分野だったとしても、
始めの頃から許容してくれていた。

彼の認識において「スパンキング」というフェチは、
たぶんセックスの延長線上にあるもので、
前戯や行為を盛り上げるための
一つの「パーツ」に過ぎない物だろうと思う。

それはそれで楽しくて良いのだが、
あくまでそれはセクシャルな要素を含むlove spankingなのであって、
俺の理想としているdiscipline spankingではない。

20080419-1

時々、その理想というものがどういう事なのか
説明しようと試みるのだが、

純粋な、性的要素を排除したスパンキング、
つまり父親が息子にそうするように
「愛情や導きを出発点とした厳しい罰としての尻叩き」
こそが至高であり究極なのであって(美味しんぼ?笑)

父親が息子にお仕置きとして尻を叩くときに
勃起したりすることはないだろうし、
息子のほうだって、平手や道具をつかって何度も尻を打たれるという
屈辱的で厳しい体罰を、歯を食いしばりながら耐えたすぐ後に、
チンコをしごいて射精なんかしないだろう、という事なのだ。

そういったストイックな状況に性的興奮を覚えるというのが
俺にとっての「スパンキングフェチ」である。

ストイックな状況に自ら性的要素を持ち込んでいるくせに、
そのピュアな世界が汚されるのを極端に嫌う、という
大いなる矛盾を抱えているから、時々、自分でも混乱するくらいだ。
(この文章もだいぶ混乱しているが・・・)

その上、俺が上手く説明できない事もあって、
フェチでない相棒にはおよそ理解できないのは当然だろう。

ただ、俺としても、別に深い理解を求めているわけではなく、
自分の「より深いところ」を相棒が知りたいと望むなら、
なんとか、筋道をたてて納得のいくように説明してみたい、
という試みでもあるのだ。

ところで、相棒はこのブログを始めたことも、
ブログを通じて他の人と交流することについても、
快く許してくれた。

ただ、俺が、このブログで扱う内容や交流について、
俺の思い入れの深さについて懸念しているようで、
「もう少し慎重になったほうが良いのではないか」という事を言われた。

それは、俺の性格として、
人間は性善説であると信じている(信じたい)と思っている事や、
3を求めている人間に10でも積極的に与えたいと思っている事、
自分はいくら傷ついても構わないし、
例えだまされたとしても1%でも可能性がある限り、
それには誠実に対応したいと思っていること、

かつて、自分がそうしてもらったように、
自分が体験してきたことや、数々の失敗から経験してきた事を
特に自分より若い子に対して(それが例えおせっかいだったとしても)
与えたいと希望していることについて
それはあまりにも無防備なのではないか、
と心配しているようにも思えた。

その件に関して、かなり長いディスカッションをして、
最終的には、彼と俺の間で理解や共感が生まれたように思う。

特に日本の教育において重視されてこなかった事もあって、
自分の考えや気持ちを表現したりディスカッションしたりすることは、
難しいことだし、自分の考えをはっきりと言い過ぎて
「嫌われたらどうしよう」と躊躇する部分もあるのだけれども、

彼との長いディスカッションについては、
苦しい部分を乗り越えて頭をフル回転させながら、
なんとかお互いの事を理解しようと努力した。
そして、その結果はすごく望ましいものであったと思う。


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